今あるものに感謝

今あるものに感謝する。

人間は、皆、必要なものは、生まれたときから備わっている。

その武器は、一人一人違うけれど、でも、みんながみんな、

自分が生きて行くのに必要なものは最初から備わっているのである。

だから、不足なものなんて、一つもない。

私は、私で完全な完璧体なのである。

私は、完全体なのである。

私は、完璧なのである。

私はいつも常に、100%、完全体なのである。

それに気づけば、怖いものなんて、何もない。

それに気づけば、自然と、今あるものに感謝できる。

それに気づいて初めて、私は親に感謝した。

私という完全体をこの世に生み出してくれたことに。

親に「感謝しなければならない」から感謝するのではなく、

「自然と心から」感謝できたのである。

常にそうであるとは、まだ行かず、

たまには、まだ恨みたくなる時もある。

でも、「自然と心から」感謝できるようになったことは、一歩前進したのではないかな、

と、自分で思った。

あと、私は、「自分がアダルトチルドレンである」という「設定」をやめることにした。

これも「無意識の思い込み」がなせる業である。

「自分がアダルトチルドレンである」という「設定」をしている限り、

アダルトチルドレンから抜け出すこと」はできないのである。

どういうことかというと、

「自分がアダルトチルドレンである」という設定をしている限り、

私は、「自分がアダルトチルドレンである」という証拠を、現実の中で無意識に探し続け、

そしてそのような現実が創造され、私はそれを見つけ、

「やっぱりね」と、自分がアダルトチルドレンであるという証拠を見つけて「楽しむ」

ことから抜け出せないからである。

そうすると、「自分がアダルトチルドレンである」という証拠を見つけることにやっきになり、

それを現実の中で見つけて、それを直していく作業に「楽しみを見出す」ことから、

抜けられず、

その「ぐるぐる思考」から抜け出せず、

その努力のおかげで、少しはましになるかもしれないけれど、

また「自分がアダルトチルドレンである」という証拠を無意識に探して見つけて

それを「楽しむ」ことから抜け出せず、

同じところをぐるぐる回るだけで、そこから抜け出せないことに気付いたからである。

「自分がアダルトチルドレンである」という設定をしている限り、それは永遠に続く。

なぜなら、自分がアダルトチルドレンではなくなったら、

アダルトチルドレンである」ことを「楽しめなく」なるから。

アダルトチルドレンである」という証拠を見つけて、それを直していくという

作業を「楽しめなく」なるからである。

なので、もう「自分がアダルトチルドレンである」という設定をやめることにした。

その設定をしている限り、

私の人生は、「自分がアダルトチルドレンであるという証拠を探す」だけの人生に

なってしまうこと、に気付いたからである。

ある本に、

『自分は今幸せである、

自分は今愛されている、

「ということにする」こと』

と、あった。

無理やり思えないなら、無理やり思わなくてもいい。

そういう「てい」にする。

「そういうことにする」と、考えるのである。

それを実践してみた。

「私は今幸せである、ということにする」と考えた。

すると、私の中で、そういう「てい」にするだけでも、激しい拒絶感があって、

その拒絶感の激しさに、自分でもびっくりした。

そうか、私は、そんなにも、「幸せ」に対して、拒絶感があったのだ。

びっくりした。

そんなに「幸せを受け取る」ことができない心で、

幸せを実際に受け取ることができるわけないのである。

きっと実際に幸せがきたところで、

私はその幸せを選ふばずに、不幸せになる選択をするはずだ。

そして、「自分が不幸せである」ことを確認して、

「やっぱりね」と思って、その事実を「楽しむ」のだ。

もちろん、意識の上では、「幸せになりたい」と思っている。

上記の一連の流れは、全て、「無意識の潜在意識」の中で行われる。

だから、自分では意識的には気づかない。

これは、同じような人間でない他人が見たら、もしかしたら気付くのかもしれない。

しかし、当の本人は、自分ではなかなか気づかないのである。

仕組みは簡単。

でも、仕掛けは、結構凝っていて、

自分ではなかなか気づけないようになっている。

これが「無意識の設定」である。

「無意識」のうちに、私は「不幸せ」を自動的に選択しているのである。

そうして、不幸せの連続の人生となる。

なぜなら幸せになってしまえば、

「不幸せを確認して楽しむ」ことができなくなるから。

そうして、不幸に慣れている人は、より不幸せのスパイラルにはまり、

ぐるぐる思考から抜け出せなくなる。

だから私は、その本に従い、

「私は幸せである、ということにする」と、考えることにした。

きっと、私は、これから幸せになるはずだ。

だって、「自分は今幸せだから」。

なぜなら、「自分は今幸せである」『ということにした』からである。

「設定変更」をしただけである。

だから、私は、今幸せである。

「今幸せである」『ということにしたから』。

「設定」を「決める」だけである。

簡単。

ただ、「勇気」と「覚悟」が必要である。

「今から自分は幸せになる」という「覚悟」。

「今から自分は幸せになる」という「勇気」。

不幸せに慣れていた自分から脱出する「勇気」と「覚悟」。

そして、自分と向き合い続けた私は、

なぜ「今まで自分は不幸せを選択していたか」、その本当の奥底にある気持ちに、

気付いたのだった。

それは、

「自分が不幸せになって、その姿を両親に見せることで、両親に復讐すること」でした。

「私が不幸せになることで、両親に『自分たちの育て方は間違っていた』と認めさせること」

その現実を見せることで、私は「両親に復讐」していたのでした。

毒親の元で育った人たちには、そのように「無意識に選択」する人が、少なからずいるそうです。

逆に、「何が何でも幸せになってやる」と、その反動で、成功を収める人もいます。

両方の選択があり、「無意識でどちらの選択をするか」は、人によって違うそうですが、

私は、前者でした。

「病気になること」で、親に「無意識に復讐」する人もいます。

いろんな選択があります。

全部「無意識」の中で行われます。

大事なことは、自分と向き合い、自分の「無意識の設定」に気付き、

「無意識の設定」の設定変更をすること。

そうして一段上がった私は、

昔の自分が、いかに「ぐるぐる思考」をしていたか、よくわかったのでした。

でも、「ぐるぐる思考をしていること」に、普通は自分ではなかなか気付かない。

なぜなら、全部「無意識」の中で行われるから。

そこから一歩抜け出さないと、

「不幸せを楽しむこと」から抜け出さないと、

幸せにはなれない。

私は、抜け出せた。

抜け出せた私は、これから「いける」と思う。

「気付いて抜け出せた自分」だから、「いける」と思う。

「そういう自分」に、信頼があるから。

「そこに気付けた自分」に、信頼があるから。

「きっと私は大丈夫」

「これからの私も、きっと大丈夫」

そんな、自分への絶大で絶対的な信頼があるから。

だから、私は、きっと大丈夫。

これからも、きっと、大丈夫。

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