心の声むずかしいというな!

いま取り組んでいる書体。顔真卿がんしんけい

という人の書き方。

誰も文句の言えない、この世で一番字のうまい人?らしいけど、

いまの私には

まったくもって今はよくわからないをちょっとおいといて

朗読でも、ちゃんと丁寧に教えると

朗読ってむずかしいですよね?と捨て台詞のように聞こえるが

レッスン帰る直前に言う人がいる。

書道にもいる、腹話術にもいる。どこにでもいる。

どんな道にでも、何かに通じている人ならば、わかると思うが

それは、ダメコメントです。

わかるまで学ぼう、勉強しようとか

どうしてそうなるのだろうとか

考えるのが、たしなむものを身に着けるための考え方でしょう?

と私は思います。

難しいと、口に出していうことでほっとしたいのかもしれないけど

後ろに下がるだけで、だれも幸せにならない、愚痴のような言葉を

教えてくれようとする先生に

いうことか??????

教えるってことは

宝物のありかを見つける近道を

特別に内緒で教えてあげることなんだ。

何十年もかけて見つけた場所を

大事な人に伝えているんだよ、選んだ人に。

それは、教室という場所でも同じ。

だから、簡単に難しいと言って、できない理由を教えてくれる人にわかってもらおうと

するのは間違っていると私は思う。

近づきたいと思えばいいのであって

今すぐわからないから、突き詰めていけるのでしょう?

話は飛ぶが、以前

映画やドラマ、レポーターなど

華やかな場所での仕事が主だったとき

積み重ねていける舞台や朗読をやっていることが

どれだけ自分の励みになったか

という意味が伝わるだろうか

マスコミの仕事は、1球入魂だが、出ればそれで終わりだ。

だから、努力という時間も少ない。

台本をもらってから本番まで、

多くて数日、短くて何分という滞空時間だ。

だから、持ってるもので勝負しつづけるしかない

なので、積み重ねていくものがなければ

軽くて、人に勝るものなどない中で

仕事をするような感覚なのである。

自分の切り売りである。

そんな自分の支えは、積み重ねた芸があるかないかだった。

このブログはじめての、まじめな話になってきたが

そういうことが、むずかしいと簡単にいってくれるな

のもとのもとである。

難しく言わないならば

かつて、私が先生として新米だった時

長嶋茂雄のように

どうやったら打てますかの問いに対して

ビュッときたら、バッて打つんだよ

という、自分しかわからない、秘密の方法(笑)

を教えるにとどまっていたであろう。これはプレイヤーの言葉である。

そのどう打つかを、言葉にするのは

大変難しいが

書道でも、腹話術でも、花道でも

はたまた大工でも料理でも

人を感動させるには

自分が、感動するような

心の持ち方と、生活の仕方に頼りがあって

技術だけでもなく、また技術の基本はかかせないのであって

そこを、ビュッと来たらバッと打つに尽きるのだが

誰でもできるようにする近道を

どうやって体系づけるのかは、わたくしの課題でもある。

そういうことをつきつめるために

腹話術やら書道やらを学び

関連付けようとしていることは否めない。

わっはっは

といって、だれでもやっていいし、ひろき、門でもある朗読なのだ。

しかし、頼む。難しいと言わないでくれ。

言った人は、もう終わりなんだ。先に進めよ、学び人よ。

そうかー!知らない世界は楽しいなーとでも言ってほしい。

そのかわり、わたしも顔真卿がんしんけい

って難しいとは、絶対に言わないようにするから!

って条件じゃだめ?

結構、難解なんですよ

書き方がまるっきし、違うんですよ。楷書と。

しかも、どこがいいのか、いまのところ分析ができていないんですが。

師匠には違うと言われたんですが

筆が羊毛だから、紙にくっくつし、書きにくいからこういう書き方にしたんですかね?

と言ったら

わからないけど、違うね!と

軽く跳ね返されました。

分析したいAB型なんです。でも

理由をまず考えるって、大事でしょう?

毎日、成長していれば

世の中は楽しい。

どうか、なんでもいいから、できそうなことを、ずっと

自分のそばにおいて、突き詰めてほしい。

それが贅沢ってものだし

お稽古業界の

与えている価値だから。

難しいって言ったら、

終了しちゃうから、言わないでね!

朗読は目に見えない空気を

自分でどう作るかなんだけど

根底には

自分がどう生きているかってことを

知ることが、

自己表現の窓口だからね